K.K.の経歴

 本名でなくペンネームです。一介の労働者として労働運動や市民運動に対峙していた。
 後半の人生は「思想の危険について」について考えることがあり,古代史関連のホームページを支援のため開き運営。
 経歴を見て、このペンネームの由来が理解できる人があれば幸いです。

連絡は今のところ、このメールのみです。

経歴

小中勝治(ペンネーム)
 大阪布施生まれの大阪育ち。旧衣摺村近くの田中村の田んぼの中の一軒家育ち。後に布施駅南の市街地に移動。
 F工科高校卒業後、O鉄工所勤務
 同時に今は存在しない大阪市生野区にあった大阪府立大学工業短期大学部(夜間3年制)に七年間在籍
 仕事も理論(学校)も今から見ればほどほど。大学を拠点に市民運動(水俣病問題、日韓・日朝問題)に従事。状況の変化で仕方なくJビル管理会社に転職した。そして世の中の変化に気がつかず仕事(新店開発)に没頭。
 三十九歳、七・四天安門事件のライターI氏とすれ違う。ようやく自身が何か出来る時代が終わったことに気がついた。そして本格的に古代史の世界に足を踏み入れる。今を捨てた男として生きる。
 五〇歳代にインターネットの世界で歴史学(古代史)を紹介する仕事を行う。以後現在までWeb(インターネット)の世界で、歴史学を紹介。
 同時期にT興産に転職したが、六十歳代前にT建物管理に転職し六十八歳まで勤務。 ビル管理の仕事は同じ。
 退職してから築七十年の雨漏りする家から、大阪市生野区に建築基準法改正前の一九八〇年代の家を買って、友人の大工さんに改装していただいて住んでいる。
 2023年現在無職の年金生活。

職歴

 わたしは二十八才から六十七才まで、企業社会の仕事としてはビル管理業に携わっていた。勤務した会社は違うが、奈良県の結崎のスーパーに八年間、大阪の老舗ビル管理会社九年間、展示会場○○○○○大阪に八年間居た。以外の十七年は、いわば落下傘部隊として新店オープン業務を行っていた。もしくは新しい勤務地・会社として同じ役割を担っていた。電気主任技術者やビル管理技術者の登録も行ったが、これは付け足しである。それぞれの職場に足かけ八年間居た職場を辞めたのは、転勤を言い渡されたにしろ、そこでの自分の役割は終わったから、引き際が大事だと自分で辞めた。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする